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SPEED POP : ウィキペディア日本語版
SPEED POP[すぴーど ぽっぷ]

SPEED POP』(スピード ポップ)は日本ロックバンドGLAYのメジャーデビュー・アルバムである。
1995年3月1日プラチナム・レコードよりリリースされた。
2001年2月7日エクスタシーレコードより、2003年3月5日東芝EMIより再リリースされている。
== 解説 ==
本作品は当初1994年秋のリリースを予定していたが、諸事情により半年以上も延期してのリリースとなった。インディーズ時代から演奏されてきた「LOVE SLAVE」、「JUNK ART」や「ずっと2人で…」、「RAIN」など、GLAYが北海道を拠点に活動していた頃の曲まで収録されている。今作のメジャー初のアルバムについて、TAKUROは当時のインタビューで、「バンドでできることというのがインディーズ時代だとしたら、今度は5人以外の力も使える。ピアノで始まるのが理想な曲なら、メンバーにいないピアノも抵抗なく入れようと。もともとポップなものが好きだし、突き詰めるといい音楽というものができればそれでいい。それがロックかどうかなんて、俺たちには意味のないことなんです。」と語っている〔 ※「1995年3月1日 メジャー1stアルバム 『SPEED POP』発売」の項を参照〕。
アルバムタイトルは、1993年に発売されたデモテープ「SPEED POP」と同じタイトルが付けられた。このタイトルを付けたことについて、TAKUROは当時のインタビューで、「そのテープも、バラードアバンギャルドなものも全部同じ次元で入っていたんですね。もう、GLAYだからという理由でしかくくれないというか。で、今回このアルバムが出来上がって言葉をいろいろイメージしたときに“SPEED POP”というのも浮かんできたんですよ。例えば、『LOVE SLAVE』と『ずっと2人で』を一緒に収録しても変じゃないという理由を考えた時に、ほんとGLAYだからということしかないんですよ。」と語っている〔。
当時のドラマーだったNOBUMASA在籍時の唯一のアルバムでもあるが、NOBUMASAが加入したのは、本作のレコーディング終了後だったため、本作のレコーディングには携わっていない。なお、「真夏の扉」、「Life 〜遠い空の下で〜」のドラムスは、元メンバーのAKIRAが担当している。
ブックレットには、音楽ライターの市川清師によるライナーノーツが掲載されている。これは市川にライナーノーツ執筆の依頼が来た際、TAKUROが「(市川が解説を書いた)UP-BEATの3rdアルバム『HERMIT COMPLEX』のライナーノーツを読んで、メジャーデビューしたら、この人(市川)に解説を書いてもらいたかった」と語っていたことを、市川が明らかにしている〔『別冊宝島617 音楽誌が書かないJポップ批評15・GLAY』17ページ「GLAYとUP-BEATと私の不思議な縁」(文:市川清師)〕。なお、文中に名前こそ挙げられていないが、ライナーノーツの最後に書かれている「ルックスのみ話題が先行し、アイドル的なとらえ方をされていたあるバンド」はUP-BEATを、また「顔をつぶしてもいいとまで言い切ったボーカリスト」はUP-BEATのボーカルだった広石武彦のことを指している。
発売3日後の1995年3月4日に、NHKポップジャム'95」に出演。この時、出演していた永井真理子のバックバンドに永井利光がいたため、GLAYと永井はこのテレビで同じステージを踏んでいたことになる〔。
オリコンチャートでは、初登場8位を記録〔オリコン週間アルバムチャート 1995年3月13日付〕。当時はまだシングル曲もトップ10入りを果たしていなかったため、シングル・アルバムを通じて、初のトップ10入りを果たした。その後も新作がリリースされるたびに売り上げを伸ばし、最終的に32万枚を売り上げた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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